学科紹介 遺伝暗号は進化する

遺伝子の本体はDNAです。その遺伝子の情報に基づいてRNAが作られ(転写)、タンパク質が合成されます(翻訳)。合成されたタンパク質が酵素を初めとした様々な役割を果たすことで、細胞は生き続けていくことが出来ます。しかし、DNAの情報は、A、G、C、Tの4文字からなる言語(塩基配列)で書き綴られているのに対して、タンパク質の情報は20種類の文字からなる言語(アミノ酸配列)で書き綴られているので、「塩基配列」を「アミノ酸配列」に変換する仕組み、ルールが必要になります。

この塩基配列とアミノ酸配列との変換ルールを遺伝暗号と言います。3文字からなる塩基配列の単語、これをコドンと言います。コドンは64種類あり(4×4×4)、20種類のアミノ酸と対応させるには十分な数があります。実際には、61種類のコドンが20種類のいずれかのアミノ酸に対応し、3種類のコドンはどのアミノ酸にも対応していません。アミノ酸に対応しない3種類のコドンは終止コドンと呼ばれ、句点やピリオドとしての役割を持っています(これらのコドンが遺伝子中に出現したら、そこでその遺伝子の作るべきタンパク質の合成を終了すると言う目印として)。表1に、64種の遺伝暗号とアミノ酸との対応表(これを遺伝暗号表と言います)を示しました。

表1で示した遺伝暗号表は、すべての生物で共通して使われています(そこで普遍遺伝暗号表または標準遺伝暗号表と言います)。ヒトと酵母、大腸菌、温泉などに棲む超好熱菌とで、姿形は異なり、生き方や生きている環境が大きく異なっていますが、タンパク質を作るための塩基配列とアミノ酸配列の対応ルール(これが正に遺伝暗号)と言う大事なルールは、共通です。ですから、ヒトの遺伝子を酵母や大腸菌の細胞の中で働かせて、ヒトのタンパク質を作ることもできます。また、色々な生物を渡り歩くウイルス(例えばインフルエンザウイルス)が、違う種類の生物の細胞の中でも自分の増殖に必要なタンパク質を作らせることができるのも、遺伝暗号表が共通だからです。さらに、タンパク質を作るために必要なルールがすべての生物で共通であることから、現在地球上に存在するすべての生物は共通祖先を持っていると考えられています。

標準遺伝暗号表
非極性アミノ酸は緑色、極性アミノ酸は黄土色、酸性アミノ酸は赤色、塩基性アミノ酸は青色で示している。
メチオニンは非極性アミノ酸だが、AUGコドンがタンパク質合成開始のために重要な役割を果たす「開始コドン」を兼ねているため、色を代えて示している。

前の段落で「表1で示した遺伝暗号表は、すべての生物で共通して使われています」と書きました。しかし、これは正確な表現ではありません。実は、表1で示した遺伝暗号表と少し異なる遺伝暗号表を使っている生物が色々と知られています。これらは、いわば方言で、標準遺伝暗号表から進化して生まれて来たものです。例えば、私たちを構成している細胞の中にはミトコンドリアという細胞小器官があります。これは元々独立して生活していた真正細菌が真核生物の祖先の細胞の中に共生したものが、独立を失って真核細胞の一部になってしまったものです。そのため、細胞の核とは別に、ミトコンドリアはその中にDNA(ゲノム)を持ち、細胞質とは別に、ミトコンドリアはタンパク質を作るためのシステムを独自に持ち続けています。ところが、私たちヒトを含む脊椎動物のミトコンドリアでは、核・細胞質で使われる表1で示した標準遺伝暗号表とは少し違った遺伝暗号表(表2)を使われていることが判っています。また、脊椎動物の非常に近い親戚である尾索動物(ホヤの仲間)や頭索動物(ナメクジウオの仲間)のミトコンドリアは、それぞれ脊椎動物ミトコンドリアとは異なった遺伝暗号表を使っているのです(表2)。その上、そのような遺伝暗号表の方言は、ミトコンドリアに限らず、色々な真正細菌(例えばマイコプラズマの仲間)や真核生物の核・細胞質(例えば繊毛虫(ゾウリムシの仲間)の仲間)にも見られます。

遺伝暗号という塩基配列とアミノ酸配列の変換ルールは、様々なタンパク質やRNA(特にtRNA)の働きによって、正確にタンパク質合成の過程で使われています。遺伝暗号が進化すると言うことは、そのようなタンパク質やRNAが「協調的」に進化することによって、初めて実現することです。

脊索動物ミトコンドリア遺伝暗号表
AUAコドン、UGAコドン、AGAコドン、AGGコドンが標準遺伝暗号表と異なる。また、AGAコドンとAGGコドンは頭索動物(ナメクジウオ類)、尾索動物(ホヤ類)、脊椎動物の間でも異なる。