研究活動研究者が語る 東薬の先端研究 10年先、20年先のスタンダードとなる分析法の開発を目指して
梅村 知也 教授
生命科学部 分子生命科学科 生命分析化学研究室
生物や環境が発するSOSのメッセージを聞き分ける
世の中のすべてのものは化学物質でできています。私たち人間の身体も化学物質でできており、それらがうまく連携することで生命は営まれています。化学物質の連携が妨げられた状態が病気です。この連係プレーの滞りをいち早く察知することができれば、深刻なダメージを負う前に病気に対処できます。そのために私たちの研究室が挑戦しているのは“オミックス(omics)”と呼ばれる、生体物質の全容を明らかにしようという研究。細胞の中身(分子やイオン)をすべて明らかにし、それらのつながり(関係性)を紐解くことができれば、病気の治療に関する情報を引き出すことができ、さらには生命の本質にも迫ることもできると期待しているのです。
分析技術を磨き社会に貢献する(オミックス研究の活用)
がんになりやすいかどうかを調べるのに、遺伝子(ゲノム情報)の検査は有効な手段の一つです。しかし、がんがいつ発症するのか(発症前のどの段階にあるのか)を知りたい場合には、遺伝子検査は無力です。いつ頃にどの箇所で発生するのかを予測できれば、心の準備や対策を立てられます。まだ来ぬ将来の不安に怯える毎日では、それがストレスとなって別の病気になってしまいそうです。それではどうすればよいのか?それには実際に起こっている結果、すなわち、症状や兆候を見逃さないことが大事であり、その症状の原因となる物質を見つけることが重要です。設計図(遺伝子型)を眺めて悲嘆にくれていても仕方がないのです。現在の状況(表現型)を的確に把握し、次なる一手を放つ!そのために我々は、あらゆる分析に対応できるように技術を磨いているのです。
こうした分析技術は病気の診断だけでなく、日常生活においても役に立っています。例えば、食肉偽装(牛肉なのかどうか?)は遺伝子検査をすればすぐに分かります。一方、産地偽装(ブランド牛やブランド米)となると遺伝子検査は通用しません。それではどうすればよいのか?育った環境(空気や水や食べ物)が違えば、元素組成や同位体比に変化が生じるはずですよね。そのわずかな差を見極められれば産地偽装を見破れるのです。分析屋はこうした不正を見破る方法の開発も行っているのです。
健康状態を反映する(病気の兆候を見つける)有用な生体試料の探索 ~心身ともに負担の少ない検査法の確立を目指して~
わずか1滴の血液で様々ながんをごく初期の段階で見つけられる。そんな検査が近い将来、低価格で受けられるようになるという報道をよく見かけるようになりました。ちなみに、最近メディアで注目されているのはマイクロRNAと呼ばれる物質。メッセンジャーRNAとは違い、タンパク質には翻訳されないRNA。かつてはその機能が分からず、ジャンク(がらくた)とみなされていましたが、今や遺伝子の発現を制御する物質として脚光を浴びています。このマイクロRNAは、がん細胞が自分の仲間を増やすときにも利用しており、血中に放出されているのです。ですから、早期発見に適していると考えられているのです。そして今や採血さえ不要な時代となりつつあります。上記のマイクロRNAは血液だけでなく、尿や涙など様々な体液にも含まれており、尿中のマイクロRNAでがんを発見することも可能なのです。ただし、尿に含まれるマイクロRNAは血液中よりも少ないため、マイクロRNAを捉えて濃縮する、あるいは信号を増幅する工夫が必要。そこが分析屋の腕の見せどころで、そうした技術開発に本研究室は取り組んでいます。
さらに、血液や尿の他にも、毛髪や唾液、汗、涙、呼気にも健康状態や病気の兆候を知らせる情報が含まれていると我々は考えています。血液検査よりも負担が少なく、気軽に安全に検査を受けることができれば受診率の向上につながります。そうした血液に代わる代替試料の探索や血液の分析では分からない新たな健康情報を提供する生体試料の探索にも挑戦しています。
ものづくりは科学技術の根本 ~分子や細胞サイズの空間を創出する~
科学実験というと試験管やフラスコを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、分析したいサンプルが1滴にも満たないわずかな量だとしたら、試験管では大きすぎます。サンプルの量に合わせた大きさの実験器具が必要になります。同じく、細胞を分析したければ、細胞をハンドリングする実験器具、すなわち細胞を一つずつ並べたり、一つずつ育てたりできる器具が必要になります。また、細胞サイズの注射針も必要になるでしょう。でも、そうした器具は市販されていません。売られていなければ自分で作るしかありません。ですから本研究室では、素材の開発から部品の設計や試作も行っています。市販の装置や既存技術を使うだけでは改善はできても、革新的な研究の進展は望めません。“ものづくり”は科学技術の根本であり、市場にないなら自分で作製するというのが研究室の信条です。生命分析化学研究室は、市販の分析装置や分析試薬を購入して使うユーザーではありません。新しい分析技術を創造して提案し、10年先、20年先のスタンダートとなる分析法の開発を夢見ているのです。